不動産売買の現場から
稲尾さんが亡くなった!
こんにちわ!売買営業部の渋田です。
子供のころの思い出で少しでも昭和一桁のひとりの日本人
が過ごした時代を知って戴きたいと、かなりアイマイな思い出話を書いてましたが、
今日は、ズット現代に近い昭和20~30年代の大事なエポックだった”西鉄ライオンズ”栄光時代の立役者稲尾和久氏が亡くなったので、どうしてもこの頃の思い出を書かせて下さい。
1.大学生の頃の最優良のアルバイトは、今は無い「平和台 球場」の場内監視でした。当時の「平和台球場」は外野側は石垣だったのでよじ登って入ろうとする無銭入場者が多かったのです。
2.3番打者中西が昭和27年、2番打者豊田が昭和28年そしてエースピッチャー稲尾が昭和31年の入団で、私は昭和27年に社会人になったので同世代の親近感がありました。
3.西鉄ライオンズ黄金時代は、東京勤務でしたが、社内に仲間が20人ぐらいいて、ベースボールマガジン社発行の”西鉄ライオンズ”を回し読みしていました。
4.あの有名な逆転優勝のときは、後楽園球場とお座敷テレビで、7戦全部を「巨人ファン」に囲まれて応援しました。
1番センター高倉・背番号25、2番ショート豊田・背番号7、3番サード中西・背番号6、、4番ライト大下・背番号3、5番レフト関口・背番号27、6番ファースト河野・背番号9、7番ショート仰木・背番号5、8番キャッチャー和田・背番号12そして最後にピッチャー稲尾・背番号24というアナウンスを聞いたときは、1塁側も3塁側も大声援で沸いてました。
5.大投手稲尾時代には、主としてテレビで声援を送るだkでしたが、あの温厚な稲尾さんにお目にかかってお喋りが出来たのは東京で定年を終えたあと暫らくして福岡へ帰るときの羽田空港待合室でと某他チームの野球選手の野球殿堂入り祝賀会、そして私どもの”家主様感謝パーティが最後でした。
訃報を聞いた時は、年令違うもののなんとなく青春が消えたような気がしたので、失礼いたしました。
たまにはまじめに・・・
今日はまじめな話になってしまいました。
こんにちは三好不動産 売買営業部の長谷 武です。
日々想う事は、
『出会うお客様に満足していただきたい』
『お客様に選ばれる不動産会社』
になりたいという事です。
最近のニュースでは、建物や食品が偽装だらけ、命に関わるものがウソ
だらけです。
そんな中、安心・安全な住まいの提供をしていきたいという事で、契約をさせて
いただく物件をチェックするルールや売買契約書のチェックするルールを見直し改善を行なったりしています。まだまだ更なる改善の余地が有りますが、日々意識を高めて『安心・安全』への挑戦をしていきます。
また、お客様への情報提供のスピードもまだまだのところが有り、これも工夫する必要性を感じていてスピードアップの仕組みを考案中です。
まだまだ挑戦すべき事がたくさん有りますが、一日一日を大切にしっかり前を向いて頑張ります。またの機会で色々お伝えしていきたいと思います。
運動不足
久々です。
本日の担当は青木です。
実は最近、といっても半年くらい前からですが、左足がしびれるようになってきまして・・・。
あまり痛みが引かないので先輩に相談したら、「坐骨神経痛」かもしれないということで。
具体的な病名をいわれると僕も心配になって、病院に行きました。
・・・結果は、異常なし。病院を変えてもう1回行ってみましたが異常なし。
結局、原因が分からないまま月日が流れ、ある風呂上りの事。
妻がストレッチをしてるのを見て、「久々俺もやるか」と足を開いて
体を前に倒してみてビックリしました。
曲がりません 。まったく。
どころか、反対に反っている感があります。最低です。
原因はこれでした。
そういえば、ここ1年くらい何も運動という運動をしてませんでした。
情けない限りです。
耐えれなくなって1分でストレッチを止め、必ず体を動かしていこうと誓う僕でした。 皆さんも運動不足には気をつけましょう・・。
孫が生まれました。
特約事項
売買営業部 小坂元です。
重要事項説明書や売買契約書を作成していますが、昔に比べて年々書類の数
が 増えています。
例えば、マンションの場合、耐震診断の有無や将来の管理費、積立金の改定さ
れる事がある事、近隣は第三者が所有地の為、将来、日照・風向きが変わる、
可能性がある事、アスベスト材の使用の有無、瑕疵担保責任の有無、平成17
年3月に発生した、西方沖地震の被害についての報告事項、消防法の改定によ
り、火災報知器を平成21年5月31日までに設置しなければいけない件、新築
分譲時の売主会社、施工会社、設計会社等調査しています。
そのうち書類が、辞書並みの厚さになるかもしれません。
当社で仲介させていただければ、正確な情報を、すべて知った上で安心して購
入出来ますので、お気軽に電話やメールでお問い合わせください。
お待ちしていま~す。
マニュアル通りでよろしかったでしょうか?
売買部上田です。
笑い話で、ハンバーガ屋で会社の夜食を20人分買いに行った人が「店内でお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」と聞かれた、というのがありますが先日私も似たようなことがありました。
某ファミレスに6歳の子供と行ったときのこと。
会計のとき、「別々でしょうか?一緒でしょうか?」と聞かれ「....一緒です」と答えました。マニュアル通りといえばマニュアル通りなんでしょうけど...
あと、某うどんチェーンに私、妻、6歳児、3歳児、0歳児の5人で行ったときのこと。
入口で若い店員が「カウンターでよろしかったでしょうか?」。
私「......座敷がいいです」。
「○○でよろしかったでしょうか?」にも中々慣れませんが、店員にはカウンターに親と小さな子供がずらっと並ぶ図を想像して欲しいと思いました。
私たちの接客にも言えることだと思います。マニュアルはあくまでもマニュアル。TPOを考えましょう。正しい言葉使いを身に付けましょう。以上です。
続:博多のよかとこのはなしです。
こんにちは。売買営業部の池本です。私共、売買営業部が統合され中央区黒門の唐人店ビルに集まったのですが、約20年間仕事で博多部(エリア)を徘徊してました私には区画整理等で整った道路や乱立した建物、増え続ける人の数に戸惑いながらも新鮮な雰囲気で仕事をしてます。ただやっぱり旧博多エリアの町家イメージの街並みや昼と夜のギャップが激しすぎる幻想的なシーン、建物のあいだをすり抜け別世界へ繋がる細い路地の存在には胸が高鳴ります。
実はず~っと城南区で過してきましたので、福岡部の幼少期の街並みの記憶も思い出されますが、あまりにも時代の変化に伴う変貌振りには【元気がいい福岡】というイメージを感じさせられますね。
さて本題の博多のよかとこのはなしですが、11月12月も季節を感じる祭り、催しが満載です。川上音二郎忌(駅前1丁目 承天寺)に始まり大相撲九州場所、山ほめ祭り(志賀島)、せいもん払い(川端商店街)、夫婦恵比寿(櫛田神社)、かぼちゃ祭り(天神 勝立寺)、若八幡厄除大祭(駅前1丁目 若八幡宮)などで来年の正月以降の人が集まって活気ある祭り、催しへと季節も変化して新たな1年が始まるのは更に楽しみですね。
かなり長くなりましたが、また次回の続編をお楽しみください。
秋の味覚 柿
秋の味覚 柿。
昨日友人の須藤君の家に柿をちぎりにいきました。高バサミもだんだん工夫されて、切っても落ちない様になってます。昔は竹の先を2つに割り、そこに枝をはさんでまわしてちぎってたものです。
柿は渋柿でしたが、中には熟した柿もありその場で食べると大変甘くておいしです。
渋柿もちぎってそのままにしておくと熟して甘くなり好きな人はたまらないおいしさです。最近の子供達は柿をあまりたべないそうですが、僕達の子供の頃は勝手によその柿をちぎって食べてました。
甘柿も頂いたのですが、柿をたべると子供の頃を思い出します。
田んぼの横に柿の木が植えてあって、稲刈りのときのお昼や休憩のの時柿をちぎって
服で拭いてそのままがぶりとたべてました。
稲刈りの脱穀の発動機がよく止り(30数年前のことなので日本の機械の性能もあまり良くなく)、その度に亡くなった父が、癇癪をおこしていたのを思い出しました。
昔の話の続きです・
こんにちわ!売買営業部の渋田です。
先ず前回「砂面」と書きましたが「沙面」が正しいので訂正させて戴きます。
中洲くらいの大きさの「租界」(治外法権地区)の中華民国側は前回書きましたように子供心にもインパクトを与える物々しい空気が有りましたが、反対側は、広々とした泥の海「珠江」が「香港」に繋がっていました。(「香港」から「澳門」に船で行かれた方はご存知のように)
「珠江」には、イギリス・フランス・アメリカなどの砲艦(居留民保護のための軍艦で、喫水が浅く真っ白い軍艦です)が、沙面の100m位のところに艫を接するように停泊していました。
遥か1キロ位沖合には、我が大日本帝国海軍砲艦「嵯峨」が小さく白く我々大日本帝国臣民たちを遠くから見守っていました。