売買営業部の渋田です。
記憶を辿りながら、古い思い出話を続けます。
当時の、中華民国(我が大日本帝国では、”支那”と言ってました)は、欧米各国の強権により、各地に”租界”(治外法権地区)が有りました。
大日本帝国でも、上海には”日本租界”が有ったとは聞いてますが、私が育った広東・香港地区はご承知の通り香港は完全な英国領でしたし、広東は、沙面島がイギリスとフランスの2国が半分づつ租界を持っていました。
当時の日本人は、殆んどイギリス租界で暮らしていましたので、日本総領事館も日本人小学校もイギリス租界に有りました。
河を挟んだ中華民国側では、時々現地の民衆がデモを行っていましたが、父に聞いたら”「排日デモ」だから今向こう側に行ったら危ないよ”というて程度のものでした。
実際、日本人の大人は危険と言ってましたが、私は現地人のボーイ(当時の言葉で召使)さんと手を繋いで買い物に連れて行って貰って平気でした。(現地人と同じ顔立ちですから)






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