こんにちは。吉塚店の渋田です。
暑いさなか甲子園で、高校生たちが元気いっぱい
青春を謳歌しています。
フト考えてみたら、今の高校3年生とちょうど同い年
の時、私は昭和20年敗戦の年でした。
県立旧制中学5年を、3月に卒業(卒業式は、空襲警報
のため中断、30年後に卒業証書を頂きました)下級生の
監督のため、軍需工場通いをしていました。
8月5日、待望の上級学校入学式参加のため、やっと
汽車に乗りました。
その夜は、八幡空襲。周りは赤々と燃えている列車の
中で夜明かしをして、8月6日山口に。その日の夕刊で、
“広島に新型爆弾!!”との記事を見ました。
あとで聞いたのですが、8月9日の長崎医大の入学式に
喜んで博多から行った同級生は、亡くなったそうです。
8月15日、「帝人岩国工場」に動員され、新入学生全員
山口の寄宿舎から汽車で向かったのでした。
しかし、「岩国駅」は前日の空襲で焼失していたため、
仕方なく一つ手前の「西岩国駅」で下車、携行品は置いて
徒歩で工場へ。
私は教授ほか5名くらいで駅前広場で荷物番をしていました。
その時、地元の人たちから“重大放送があるからラジオの前に
来なさい。”と教えられ、良く聞こえなかったのですが、
“日本が負けたとの天皇からの勅語だ。”と言われました。
教授の命令で、5キロ先の「帝人岩国工場」に急報(初めての
土地で、途中は昨日の煙や炎・しかばねの中でした。)
“日本は、負けたそうです。”と報告しました。
ところが、教授たちも工場の幹部たちも、“一人で大変だったろう!
ゆっくり休んで食事をしなさい。”と取り合ってくれませんでした。
(工場は、昨日の空襲で、電話もラジオも通じてなかったのです。)
あれから、61年経ったそうです!
でも、8月になると、毎年どうしても最初に思い出すことなのです。
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