こんにちは、、! 売買営業部の高尾です。
今回は、私の故郷の大分県日田市にちなんだ史跡を
ご紹介いたします。
大分県の日田市内に江戸後期の私塾:咸宜園(かんぎえん)が
解体・修理を行って、江戸末期の姿に復元されてあります。
「咸宜園」とは、江戸後期の日田の儒学者・教育者の
廣瀬淡窓(1782~1856年)が開いた私塾の名称です。
町名も「廣瀬淡窓」にちなんで「淡窓町」となっております。
開塾から明治30年の閉塾までに、全国からの入門者は
延べ約4800人を数え、数々の個性的な教育で知られ
蘭学者の高野長英や兵学者の大村益次郎など歴史に
足跡を残した人物を多く輩出いたしました。
その個性的な教育方針を表す言葉として、日田市立高瀬小学校
の校庭にある「石碑」に刻み込まれいます。
私の好きな言葉ですので、ご紹介いたします。
日田市立高瀬小学校のある「石碑」
~鋭きも鈍きも
ともに捨てがたし
錐 と 槌 とに使いわけなば、、、~
(きり) (つち)
注)きり~木材等に細い穴をあける為に使う先の尖った物
つち~上棟時などに使い、柱・梁などを叩く平ぼったい大槌
「咸宜園いろは歌」の「す」の項に書かれている言葉です。
咸宜園の教育の考え方を物語る有名な言葉です。
生徒一人一人のそれぞれの個性を生かして、
その人に合った教育・指導を行う事が
咸宜園の基本方針だったみたいです。
現在にも、共通するものがあるみたいですネ。、、!
これからも よろしく お願いします。